怪物は誰か
「フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス」読了。
子供の時読んだきりだから、細かいところはかなり忘れていたな。
フランケンシュタインが、「怪物」の名前ではなく、その人造人間を作った科学者の名前だということは、知っているひとは知っているのだろうが、おそらく世の中の多くのひとが誤解しているのではないだろうか。
科学者の名前は、ヴィクター・フランケンシュタインという。人造人間には、ついに最後まで名前は与えられていない。
物語は、三重構造になっている。
北極探検に出かけたロバート・ウォルトンという青年が、氷原で助けたフランケンシュタインから、その「物語」を聞いて姉への手紙にしたためるという構成の中に、人造人間自身の告白が織り交ぜられている。
フランケンシュタインの怪物のイメージというと、どうしてもボリス・カーロフの映画などで定着してしまった「怪物くんのフランケン」になってしまうのだが、物語の中には、「大きくて醜い」という以上の描写は出てこない。
ヴィクターは、その怪物をたったひとりで作り上げるわけだが、その素材や製作方法に対する描写もまた描かれてはいない。
研究段階では、死体などをいろいろ研究材料に使っているのだが、本番では、死体を継ぎはぎして作っているようには思えない(これは、怪物のために花嫁を作る段階になるとよく分るのだが)。
ヴィクターは、怪物を二度と世に送り出さないためという理由で、研究内容について語ることは拒否しているから、あいまいではあるのだが…。
さて、物語は、ヴィクターが作り出した人造人間が姿を消し、やがてヴィクターの周りの人々が次々と不幸に見舞われるというものだ。
だが、その不幸の始まりは、ヴィクターが、自分の作り出した人造人間の醜さにそれを放棄し、逃げ出すままにしたことがきっかけになっている。
まったくの自分の身勝手から悲劇は展開されて行くことになるのだが、ヴィクターは、ひたすら怪物を憎み恐れるという、かなり自己中な人物として描かれている。
人々に手を下したのは、確かに人造人間なのだが、その原因を作り出して行くのは、むしろヴィクターだといってもいい。
読んで行くうちに、読者は、次第に「怪物、悪魔」とヴィクターに罵られる人造人間の方に同情を覚えて行くのではないだろうか(ことに、人造人間の告白の部分は、胸に迫るものがある)。
ほんとうに「怪物」と呼ばれるべきは、いったい誰なのか?と思わずにはいられない物語である。
物語自体は、今の目から見れば、それほど「科学的」とも言えないが、作者のメアリー・シェリーの思考や描写は、当時としてはできるだけ「科学的でリアル」であろうとしている。
この小説が、近代SFの祖に位置づけられるのもむべなるかなという物語だと思う。
SFファンだったら、一度はきちんと読んでおくべき本である。
さて、読み終わって残る最大の疑問は、「果たして、本当に人造人間は存在したのだろうか」ということである…。
「フランケンシュタイン」
メアリー・シェリー 小林章夫訳 400P 光文社古典新訳文庫 781円+税
(読みやすい訳文で、活字も大きい)
※プロメテウス=ギリシャ神話の神。人間を作ったのが彼だとされている。
また、人間に「火(文化)」を与えたため、ゼウスの怒りをかって、生きながら毎日肝臓をハゲタカについばまれる罰を与えられた。
人造人間の話だから「現代のプロメテウス」なのだろうが、「火」を知ってしまったために、人類がその恩恵とともに多大な悲劇をも背負い込んでしまったことを考えれば、どちらも当てはまるのかも知れない。