思っていたよりはよく出来ていたが、想像していたものには遠く及ばない出来であった。
妻夫木の百鬼丸は、いささか線が細いところをのぞけばそれほど原作のイメージから外れてはいない(まあ、イメージだけ合ってればいいというものではないが)。
柴咲コウのどろろは、ああいう解釈もありかもしれないが(原作のままだと、ちょっと子どもっぽ過ぎて実写としてはバランスが悪いかもしれない。ただ、柴咲では、年が食い過ぎている気もする)、いかんせん滑舌の悪い部分が多々あって、せりふがよく聞き取れない場面が多かった。
ミスキャスト、といわれても仕方ないだろう。
さて、肝心の物語の方なのだが、原作をふまえての翻案は成功している部分と失敗の部分が相半ばといったところか。
元々が未完の作品だから、ラストの解釈に関してはあんなところが落としどころか、という気もするが、手塚治虫の世界観からすると、かなりあまっちょろいという感じもする。
まあ、あの辺が、今の日本の脚本家の想像力の限界なのかも知れないが。
舞台設定は、日本の戦国時代に似た架空の世界、ということになっているから、まあ、何でもありといえばありなのだが、酒場の踊子の衣装がいきなり思いきり「西洋風」だったり、細かいところで違和感につながる計算ミスも見られて、その辺はちと勉強不足という気がする。
途中の妖怪退治の場面が、思いきりはしょり気味で、妖怪の造形も安っぽく、日本映画が漫画を実写で撮る時に陥りがちな、チープさとユーモアを取り違えるという誤謬が、やはりここでも見受けられたのは残念だ。
こんな映画こそ、黒澤明に撮らせれば面白かったんだろうなあ。
※滑舌(かつぜつ)
「舌の回りがよいこと」なのだが、何故か辞書には載っていないことが多い。