シャンソン歌手の芦野宏さん、といっても若い人にはほとんど判らないだろうなあ。
群馬県の渋川にある日本シャンソン館館長出あり、日本シャンソン協会会長だった方。
その芦野さんが、この4日に亡くなった。87歳。
合掌
と、何故ふだんシャンソンのシャの字も話題にしないのに、芦野さんなのかというと…。
芦野さんは、戦時中上田に疎開して、一時「上田蚕糸専門学校」(今の信州大学繊維学部)に在籍していた(いつまでいたのかは判らないが、その後東京芸術大学声楽科を卒業している)。
で、その頃同じ専門に通っていたうちの親戚と友人になり、戦争直後の頃は、その親戚が下宿していたわたしの母の実家にしょっちゅう遊びに来ては歌ばかり歌っていた、という話を時々聞かされていたからだ。
もちろん、わたしの生まれる前の話であり、今となっては詳しいことは判らない。
祖母にでも、もっといろいろ聞いておくのだったなあ…。
他にも戦時中から戦後にかけて、上田中学(今の上田高校)には、白土三平と永六輔(白土三平がひとつ上になる)がいて、大輪寺には短い間だったようだが愛川欽也が疎開していた。
永六輔は、小諸に住んでいたのだが、同じ時小林亜星も小諸に疎開していたりする。
知られていないだけで、他にもいろいろなひとが来ていたのかも知れないなあ。