7月7日
七夕の日に永六輔さんが亡くなった。
83歳。
「じゃあね」というような去り方だったそうだ。
いかにも永さんらしいや。
ラジオ放送から、名前を外して欲しいと言われたいう話を聞いたときから、ある程度覚悟はしていたのだが、世の中がこんなになってしまったときに去られてしまったのは、何とも切ない。
お元気な頃の写真を。
1枚目は、「上田」と手打ちを行った「上田が大っきらいだった」という講演会のときのもの(なんちゅうタイトルだ…)。
もちろん、まだバリバリお元気で、お腹もポッコリしていた頃。
チケットは、わたしがデザインしたもの。
2枚目は、2008年(今から8年前だ)の「うの花忌」のときの珍しいサングラス姿。
なぜサングラスなのかというと、電柱とけんかして目の回りに痣が出来て、上田で手に入れたものをかけているから。
この時、レイ・チャールズに引っ掛けた「エイ・チャールズ」のイラストを送ったら、喜ばれた。
レイは英語で「鱏(エイ)」のことだから。
思えば、この少し前からいろいろと体調に変化があって、パーキンソンを発症しはじめていたのだなあ。
深夜放送を聴き、18才の時初めてお目にかかって、その後は長い間単なるいちリスナーだったのが、しょっちゅうラヂオでハガキを取り上げていただいて、上田にいらした時ご挨拶をして、そのあと、理論者の小宮山量平さんとのご縁から上田の手打ち式のお手伝いをしてと、考えてみれば40年以も永さんの放送を聴き続け、ちょこちょことお目にかかっていたことになる。
また、この世から、厳しい意見を言ってくれる人が去ってしまった。
まあ、永さんだから、あの世じゃなくて草葉の陰からいろいろときついことを言ってくれることとは思うが。
永い間お疲れさまでした。
ありがとうございました。
合掌