植木等が亡くなった。
80歳というから、早すぎるという年齢でもないが、またひとり本物のコメディアンが去ってしまった。
ここのところ、レンタルビデオ屋に行っては並んでいるクレイジーシリーズをぼとぼちと見返していたところだったので、やはり寂しいことではある。
60年代の「無責任シリーズ」は、1本目の「ニッポン無責任時代」2本目の「ニッポン無責任野郎」と続いていくわけだが、この映画の主人公、平 均、源 均は、無責任とか口八丁手八丁の男というより、むしろ「ほとんど詐欺師」に近い言動。
彼は、見も知らぬ会社に潜り込んでは調子良くのし上がっていくのだが、当時の「高度経済成長」という世相の中で、彼の生き方は批判の対象になるよりは、むしろ「あんな調子で暮らせたらなあ」という世の中のムードを多分に反映したものだった。
クレイジーの映画は、怪獣映画、若大将シリーズとともに、子供たちが心待ちにする東宝のドル箱となったわけだが、世の中の行け行けどんどんムードの鎮静化とともに次第に人気が落ちてゆくことになる。
そして、クレイジーの代わりに出てきたのが、それまでクレイジー映画にちょい役などで顔を出していた「ドリフターズ」のシリーズだった。
怪獣映画がどんどん「お子さま向け」に落ちていったのと同様、ドリフの映画は、子供の目から見ても一段と「格落ち」の観が強かった。
クレイジーの映画が「一流レストランの豪華なディナー」だとすると、ドリフの映画は、「場末の食堂のお子さまランチ」という感じで、見ていてある種の侘びしさばかりが残った。
テレビでの「ドリフのコントはすごかった」と思っている世代には申し訳ないが、クレイジーのやっていたコメディーを、単なるドタバタに落としてしまって、今のテレビのつまらなさにつなげてしまったドリフの罪は、ある意味大きいと思っている。
タレントの楽屋話ばかりの番組を「バラエティー」だと思っているテレビの現状では、いまやテレビから本物の「コメディー」が生まれる可能性はほとんどないだろうな。